2015/8/15 帰省最終日と終戦記念日 

私は実家から離れて暮らしています。
だから、「お盆の日に実家に帰る」ということは、自然と当たり前のことになっています。
高校卒業後、実家を離れて暮らすようになってからも、
どんなに忙しくても13~15日は必ず帰ってお墓参りをしています。
これって、当たり前のことですよね?

さて、今日は終戦記念日。
日本人なら覚えておきたい日付。

親も事実上の「戦後世代」(S19年、S20年生まれ)ですが、戦後直後の貧しい生活は
幼心にまだ覚えているそうです。
戦争そのものの話について、唯一覚えていることがあります。
それは、小さい頃、祖母から聞いた話。

直江津(黒井駅)に爆弾が落ちたこと。
インターネットで検索したら、「広報上越 H27年6月号」に簡単な紹介がありました。


昭和20年(1945年)5月5日午前11時過ぎ、B29爆撃機が黒井駅付近を爆撃しました。
爆弾は、目標の信越化学直江津工場には命中せず、近くの水田に落ちました。さらに、もう1個投下された爆弾は黒井駅近くの倉庫に命中しました。
この爆撃により、周囲で作業していた人など、合わせて3人が亡くなり、5人の負傷者を出しました。


祖母は、このことを目撃したのだと思われます。
遠く離れた家からも、落ちたのが見えたそうです。
身近なところで爆弾が落ちたことを知り、戦争が他人事ではないと感じました。

小学生の頃、広島の原爆の話を聞き、リアルな原爆写真集を図書館で見つけて読みました。
「はだしのゲン」の存在を知ったのは、かなり後になってからでしたが、読む気にはなれませんでした。
大学時代、研究室の教授が、沖縄慰霊の日(6月23日)に並々ならぬ感情を持っていたことと、
随筆「長崎の鐘」(永井隆 著)を紹介して頂いたことを覚えています。

こうして、私は、戦争というものの知識を獲得していきました。

「戦後」=太平洋戦争後、という公式、当たり前と思うかも知れません。
でも、太平洋戦争前、「戦後」といったら、応仁の乱を指していたとかいないとか。
少なくとも、関ヶ原の戦いや日清戦争のあとのことを「戦後」とはいいません。

戦後といったら、太平洋戦争後なのです。
それだけ、日本史における太平洋戦争の重みは非常に大きいのです。

「戦争を知らない子どもたち」の一人ですが、知るところから、すべてが始まると思っています。
もちろん、この戦争は、太平洋戦争のことです。
知らないことを知る努力をした人間が、
今度は伝える立場として、何ができるか。考えていきたいと思います。
スポンサーサイト
Date: 2015.08.15 Category: 日記  Comments (0) Trackbacks (0)

この記事へのコメント:


管理人のみ通知 :

トラックバック:


おしらせ
当ブログをお読み下さった方、是非コメントください。 私をご存じの方はもちろん、知らない方も是非! なお、upには多少のお時間をいただきます。
プロフィール

kodaman.

Author:kodaman.
新潟県在住。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター